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2020-11-03更新

プレイバック(3)1985

プレイバック 1985年

 

この年は 大きな事件がありました。 8月には 日航ジャンボ機の墜落事故。

連日 テレビなどでの報道は 凄かったですね。

豊田商事事件 これも 凄い事件でした。

そして 阪神タイガースの優勝。。。

 

しかし 水道屋さんにとっての 1985年の記憶は

鈴鹿8時間耐久レースの 観戦でしたね。

当時 学校を卒業して 勤めてたのが 名古屋の設備屋さん。。

休みの日は 4輪レースは 星野、中島、のレース展開 が好きでよく行ってましたが

2輪は 初めて。会社の寮の先輩と いこう行こうということになり。

前夜から いざ 鈴鹿へ。

まさに鈴鹿へ 続く国道は まさにバイクの 列、列、

その合間に 私らのように 4輪が、、、

サーキット手前の 民家の?臨時駐車場で 仮眠して朝

鈴鹿サーキットへ 歩いていきましたよ。肩には クーラーボックス。

中身は、ビールに ジュースに (笑) (笑)

1983-84年と全日本500ccでチャンピオンを獲得し、この年もV3に向けてシリーズを戦っていた平忠彦。

当時、人気・実力は国内No.1 平が資生堂の男性化粧品「TECH21」の広告キャラクターに起用されて

いたことから、チームは「ヤマハ TECH21チーム」という名で結成されました。

FZ750をベースとしたFZR750の耐久仕様。ヤマハ初の4ストロークファクトリーマシン。

ペアーを組むのは 引退していた キング ケニー、ロバーツ

 

すでにGPの現役を引退していた“キング”ことロバーツだが、8耐参戦というビッグニュース。

サーキットには まさに人人人でした。その数 15万人。。

レースクイーンも あちこちに。。 いい時代ですわ~。

7月末の予選、当時のTT-F1レコードを更新する2分19秒台を叩き出して

ポールポジションを獲得し”キング”の貫録を見せつけた。

さあ スタート。スタートライダーを務めたものの、エンジン始動に

手間取り大きく出遅れるんです。

僕らは 第一コーナーの 先のほうにいたので みな 騒然でした。どうした ケニー?

しかしこのアクシデントが、チームの力を際立たせることとなったのは言うまでもありませんでしたわ。

ロバーツは、ほぼ最後尾から驚異的な追撃を。まさに「キング ケニー」

4周目14番手、10周目6番手、20周目には2番手に浮上。

22周を終えロバーツから平へ交代すると、スタートから1時間32分後の38周目、

ワイン・ガードナー/徳野政樹組(ホンダ)を

抜いてトップに立ち、その後も快調に周回を重ねていった。

恐るべし 「TECH21」チーム

夕闇になってもトップの座を守り、観客の多くが「TECH21」の初出場・初優勝を確信ですわ。

ところがラスト30分、平が駆るFZR750がエンジン回転を落とし リタイア。

嘘じゃろう~~。 まさに 観客 唖然、呆然。

優勝はガードナー組となったが、この年のハイライトは間違いなく

TECH21カラーを駆る2人の衝撃的な走りでした。

悲劇的な結末だったからこそ、私の記憶に刻みこまれ、1985年といえば

この 8耐史上の最大の熱狂を 思いだすんですわ。

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