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2020-11-02更新

プレイバック(3)1985

プレイバック 1985年

 

この年も 大きな事件がありました。

日航機 御巣鷹山に墜落

 

豊田商事事件 衝撃な結末でした。

 

阪神タイガースの優勝も。

 

いろんな 大きな事件がありましたが

水道屋さんにとって今も よく覚えているのは

鈴鹿8時間耐久レースですね。

当時 勤めてた名古屋の会社から 鈴鹿の4輪レースは

よく見に行ってました。先輩から 一度8耐に行こうと

言われ始めて行った2輪レースが この年の鈴鹿8耐。

 

当時 全日本500ccクラスでチャンピオンを獲得。

人気、実力とも国内NO1のライダー 平忠彦。

彼が 資生堂の化粧品ブランド 「TECH21」の広告

出てましたのでチーム「ヤマハ TECH21チーム」を

結成、出場。。。

ヤマハ初の 4ストロークマシン FZR750耐久仕様

 

そして 平のチームに 参加するのは、

すでに GP現役を引退していた キングこと

ケニー ロバーツ。

まさに 2輪界の 超大物が参戦ということで

この大会の盛り上がりは 半端ではなかったです。

ふだん2輪レースには それほどでもない私も

ワクワクもんでした。

前日から 名古屋を出発しましたが もう鈴鹿までの

国道は 全国からのバイクで 凄かったです。

近隣の普通のお家の空き地に車を止めて

早朝 レース場へ。。。

まさに 15万の 大観衆の 波、波、波。。。

そして いたるところに レースクイーンが

(いい時代でしたね~~)

私は 先輩のお供で クーラーボックスに

ビールに ジュースを。。(笑)

まずは 第一コーナーで 観戦。

スタートライダーは、ケニー ロバーツ

運命のスタート。

8時間の耐久レースの始まりです。

しかし 来ない? 来ない?

ケニーが、来ない。 なんとエンジン始動に

手間取り 大きく出遅れ、最後尾。。

どうした ケニー!!!

しかし このアクシデントが、チームの力を

際立たせることとなったのは言うまでもありません。

そこからが まさに キングといわれる由縁ですわ。

1ラップ目 は35位 8ラップ目で7位

なんと20ラップ目で2位 まさに怒涛の追い上げ

20ラップで 50台をごぼう抜き 38周目には首位に。

まさに 観衆は、狂気乱舞でしたわ。

 

首位浮上後は その地位を盤石にして6時間後には

なんと前者をラップ遅れにしました。

 

しかし他を圧倒する速さを見せたロバーツ/平組の

FZR750は、残り30分を切ったところで

無念のエンジンブロー。。

この悲劇的な結末は 35年経った今でも

鮮明に 覚えてますね。

 

 

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