プレイバック(3)1985
プレイバック 1985年
この年も 大きな事件がありました。
1985年最大の事件でした。日航機墜落事故。
スポーツ界では まさに阪神、阪神でした。
そして これも衝撃的な事件でした。
というか 衝撃すぎる最後でしたね。
そういった 1985年でしたが 水道屋さんにとっての
大きく そして思い出深い事件?思い出は これ
1985 鈴木8時間耐久バイクレースです。
当時会社の寮(名古屋)に住んでた私は 先輩と一緒によく鈴鹿へ
4輪レースを見に行ってました。2輪は ほとんど見に行ってませんでしたが
この年 1985年の8耐は、特別でした。
当時人気、実力NO1の平忠彦が、鈴鹿に参戦。。。
資生堂の男性化粧品ブランド「TECH21」に起用されていたことから
チームは 「ヤマハ TECH21チーム」
カッコええですね~~。
そして ペアを組むのは 引退していた ケニー ロバーツでした。
キングケニーと呼ばれる まさに伝説の大物ライダーの参戦です。
そりゃ~ 普段2輪レース見ない私らも WAKUWAKUでした。
マシンは この年デビューしたFZZ750をベースとした FZR750耐久仕様。
ヤマハ初の4ストロークファクトリーマシンでした。
全国から例年以上に 観戦に訪れるバイク仲間の 列、列。
4輪の私たちは 鈴鹿サーキット手前の民家の 急遽の臨時駐車場で
仮眠して いざ サーキット場へ。。。
例年以上の まさに大観衆ですわ。
それにしても 暑かったなあ。。。8時間 歩き回って
今じゃ考えられんです。(笑) (笑)
こちらは お約束のレースクイーンさんです。
クーラーボックスに ビールやらジュースを入れて 持って歩くのが
後輩の私の役目でした~。次の日にゃ 会社のみんなから どこへ
海水浴行ったのと言われるぐらい 日焼けしてました。。(笑)
さあ 8時間のレースのスタートです。
ポールポジションを獲得したしたケニーでしたが なんとエンジン始動に
手間取り大きく出遅れます。大観衆の どよめき、、、
しかしこのアクシデントが、チームの力を際立たせることとなったのは
言うまでもありませんでした。
ロバーツは、ほぼ最後尾から驚異的な追撃を見せ 4週目には14番手
10週目6番手、20週目には2番手に浮上。平に交代したスタートから
1時間32分後の38週目には、トップに立ちました。
快調に周回を重ね、夕闇になってもトップの座を守り観客の多くが
「TECH 21」チームの優勝をかくしていました。が、、、
ラスト30分 平が駆る FZR750が、エンジン回転を落とした。
まさに痛恨のエンジントラブル。
平は 静かにマシンを 降りた。
1985 「TECH21」チームの 8耐は、終わった。
しかし 1985の8耐は、語り継がるだろう。いつまでも、、
あの暑いサーキット、熱い思いを 忘れることはないだろう。
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